マツダRXシリーズの歴史 ロータリーエンジンの原点

マツダRXシリーズの歴史 ロータリーエンジンの原点

マツダのRXシリーズを語るうえで、まずはマツダの歴史について紹介したい。

1920年1月「東洋コルク工業」という会社が広島で産声を上げ、

1927年に東洋工業に社名を変更。

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マツダの歴史

1931年10月に三輪トラックを
生産開始して自動車産業に乗り込み。

引用//https://www.asahi.com/special/mazda-rotary/chronological-table/

そこから約30年後の1960年に西ドイツのNSU・バンケル社が

RE(ロータリーエンジン)の技術を発表して5月に 初の軽乗用車「R360クーペ」発売

引用//https://www.asahi.com/special/mazda-rotary/chronological-table/

1967年に世界初の量産ロータリーエンジン(RE)搭載車として

コスモスポーツが発売された。

引用//https://www.asahi.com/special/mazda-rotary/chronological-table/

1967~72年に1176台が生産された。当初の標準価格は148万円で、

当時の給与所得者の平均年収は62万円だった。

「宇宙時代にふさわしいエンジンを」との思いが込められ、

イタリア語の「Cosmo(宇宙)」から命名。排気量は491㏄×2。

前期型(L10A)と、フロントグリルを一新し、

18馬力アップの128馬力とし、

ホイールベースを15センチ伸ばすなどした後期型(L10B)が

68年から生産された。

近未来的なフォルムは人気が高く、

「帰ってきたウルトラマン」(71~72年)、

「エヴァンゲリヲン新劇場版:破」(2009年)にも登場した。

1968年の4月に日本初の超高層ビル、霞が関ビルが開館した年に

RE搭載車の第2弾として、マツダファミリアロータリークーペが誕生した。

引用//https://www.asahi.com/special/mazda-rotary/chronological-table/

軽量・コンパクトな車体に100馬力という高出力エンジンの組み合わせで、

じゃじゃ馬的な俊足ぶりだった。

国内外のレースでも大活躍した。

しかしファミリアは以後、マツダの看板車種でありながらREを捨てることに。

初のFFモデルとなる80年発売の5代目は、

「赤いファミリア」として爆発的ヒットとなり経営の屋台骨を支えた。

1969年東名高速が全面開通した、その時に登場したのが

逆スラントノーズのフロントマスクが印象的な

マツダルーチェロータリークーペである。

引用//https://www.asahi.com/special/mazda-rotary/chronological-table/

ベルトーネデザインの流麗な2ドアクーペ。

度重なるモーターショー参考出品の果てに市販化されたのは、

REにマツダ初のFFを組み合わせた意欲作だった。

作り慣れないFF機構はクセが強く、

独自機構による高価格化もありヒット作とはならなかった。

1971年には国内レースで常勝を誇っていた

日産スカイラインGT-Rを破り

あの名車サバンナが市販されることになった。

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俺の車にサバンナ(触るな)とダジャレが流行ったことを思い出してしまった。

スポーツカーエンジンとしてのREの存在感を高め

巨大なオーバーフェンダーをまといレース参戦していた

クーペモデルの印象が強いが、

セダンやステーションワゴンといった幅広いバリエーションを用意していた。

1978年5月に成田空港が開設された年に

遂にRXシリーズの初代サバンナRX-7が登場した。

引用//https://www.asahi.com/special/mazda-rotary/chronological-table/

排ガス規制で本格派スポーツカーが絶滅しかけた

国内市場に久しぶりに登場した、

実質2人乗りのREスポーツ。

漫画「よろしくメカドック」にはニヒルな好敵手・

那智渡の愛車として登場した。

後期モデルにはターボ付きが追加され、

メーカー各社の高出力競争に加わることになる。

1984年5月に、「マツダ」に社名変更

5月1日の改称を前に、

「東洋工業株式会社」から「マツダ株式会社」

に門柱の標識だけが換えられた

引用//https://www.asahi.com/special/mazda-rotary/chronological-table/

1985年スポーツカーとしての

あらゆる動力性能に磨きをかけて進化した

サバンナRX-7(2代目)が発売された。

引用//https://www.asahi.com/special/mazda-rotary/chronological-table/

国内仕様はターボ付き13B型のみを用意。

国内外のメーカーがFRスポーツのお手本にした、

ポルシェ944と比較されることが多かった。

小粋な電動キャンバストップを備えた、

歴代唯一のカブリオレもあった。

1991年6月

日本車で初となる、仏・ルマン24時間レースでRE搭載の「787B」が総合優勝。

引用//https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%BB787

これは日本メーカーにとって初の総合優勝であるほか、

ロータリーエンジン車として初、

レシプロエンジン以外でも初の総合優勝であり、

まさに快挙と呼ぶにふさわしいものであった。

なお、あまり知られていない事実として、

カーボンブレーキ装着車として初めてル・マンを制した車種でもあった。

販売チャンネル拡大に伴い新設された販売系列

「アンフィニ」の名前を冠してデビューしたのが

RX-7(3代目)

であります。

引用//https://www.asahi.com/special/mazda-rotary/chronological-table/

熟成されたシーケンシャルツインターボ付き2ローターは、

最終モデルでは国内自主規制いっぱいの280馬力に達した。

漫画「頭文字D」の準主役マシンとして根強い人気を誇り、

中古車市場では高値安定が続く。

2003年

RX-7の低重心と理想的な前後重量バランスに

使い勝手の良さを加味してファミリーカーとしての

使用にも耐えるRX-8が発売されました。

観音開きの4枚ドアクーペ。

RE車の間口を広げて浸透を図った。

のちに水素RE実験車のベースに用いられ、

次世代エコカーとしての可能性が模索される。

2015年

東京モーターショーでお披露目されたコンセプトカーの

RX-VISIONが登場しました。

低燃費と軽快な乗り味を両立するスカイアクティブ技術の応用で、

近い将来のRE復活を予告した。

スポーツカーの王道とも言うべきロングノーズ・ショートデッキの

流麗なデザインが、ギャラリーの期待を高めた。

如何でしたか

今回はマツダの車を語る上でRXの歴史をまず紹介して来ました。

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