マツダのRXシリーズを語るうえで、まずはマツダの歴史について紹介したい。
1920年1月「東洋コルク工業」という会社が広島で産声を上げ、
1927年に東洋工業に社名を変更。
目次
- 1 マツダの歴史
- 1.0.0.0.1 1931年10月に三輪トラックを
- 1.0.0.0.2 生産開始して自動車産業に乗り込み。
- 1.0.0.0.3 1967年に世界初の量産ロータリーエンジン(RE)搭載車として
- 1.0.0.0.4 1968年の4月に日本初の超高層ビル、霞が関ビルが開館した年に
- 1.0.0.0.5 1969年東名高速が全面開通した、その時に登場したのが
- 1.0.0.0.6 1971年には国内レースで常勝を誇っていた
- 1.0.0.0.7 1978年5月に成田空港が開設された年に
- 1.0.0.0.8 1985年スポーツカーとしての
- 1.0.0.0.9 1991年6月
- 1.0.0.0.10 RX-7(3代目)
- 1.0.0.0.11 2003年
- 1.0.0.0.12 2015年
マツダの歴史
1931年10月に三輪トラックを
生産開始して自動車産業に乗り込み。
引用//https://www.asahi.com/special/mazda-rotary/chronological-table/
そこから約30年後の1960年に西ドイツのNSU・バンケル社が
RE(ロータリーエンジン)の技術を発表して5月に 初の軽乗用車「R360クーペ」発売
引用//https://www.asahi.com/special/mazda-rotary/chronological-table/
1967年に世界初の量産ロータリーエンジン(RE)搭載車として
コスモスポーツが発売された。
引用//https://www.asahi.com/special/mazda-rotary/chronological-table/
1967~72年に1176台が生産された。当初の標準価格は148万円で、
当時の給与所得者の平均年収は62万円だった。
「宇宙時代にふさわしいエンジンを」との思いが込められ、
イタリア語の「Cosmo(宇宙)」から命名。排気量は491㏄×2。
前期型(L10A)と、フロントグリルを一新し、
18馬力アップの128馬力とし、
ホイールベースを15センチ伸ばすなどした後期型(L10B)が
68年から生産された。
近未来的なフォルムは人気が高く、
「帰ってきたウルトラマン」(71~72年)、
「エヴァンゲリヲン新劇場版:破」(2009年)にも登場した。
1968年の4月に日本初の超高層ビル、霞が関ビルが開館した年に
RE搭載車の第2弾として、マツダファミリアロータリークーペが誕生した。
引用//https://www.asahi.com/special/mazda-rotary/chronological-table/
軽量・コンパクトな車体に100馬力という高出力エンジンの組み合わせで、
じゃじゃ馬的な俊足ぶりだった。
国内外のレースでも大活躍した。
しかしファミリアは以後、マツダの看板車種でありながらREを捨てることに。
初のFFモデルとなる80年発売の5代目は、
「赤いファミリア」として爆発的ヒットとなり経営の屋台骨を支えた。
1969年東名高速が全面開通した、その時に登場したのが
逆スラントノーズのフロントマスクが印象的な
マツダルーチェロータリークーペである。
引用//https://www.asahi.com/special/mazda-rotary/chronological-table/
ベルトーネデザインの流麗な2ドアクーペ。
度重なるモーターショー参考出品の果てに市販化されたのは、
REにマツダ初のFFを組み合わせた意欲作だった。
作り慣れないFF機構はクセが強く、
独自機構による高価格化もありヒット作とはならなかった。
1971年には国内レースで常勝を誇っていた
日産スカイラインGT-Rを破り
あの名車サバンナが市販されることになった。
引用//https://www.asahi.com/special/mazda-rotary/chronological-table/
俺の車にサバンナ(触るな)とダジャレが流行ったことを思い出してしまった。
スポーツカーエンジンとしてのREの存在感を高め
巨大なオーバーフェンダーをまといレース参戦していた
クーペモデルの印象が強いが、
セダンやステーションワゴンといった幅広いバリエーションを用意していた。
1978年5月に成田空港が開設された年に
遂にRXシリーズの初代サバンナRX-7が登場した。
引用//https://www.asahi.com/special/mazda-rotary/chronological-table/
排ガス規制で本格派スポーツカーが絶滅しかけた
国内市場に久しぶりに登場した、
実質2人乗りのREスポーツ。
漫画「よろしくメカドック」にはニヒルな好敵手・
那智渡の愛車として登場した。
後期モデルにはターボ付きが追加され、
メーカー各社の高出力競争に加わることになる。
1984年5月に、「マツダ」に社名変更
5月1日の改称を前に、
「東洋工業株式会社」から「マツダ株式会社」
に門柱の標識だけが換えられた
引用//https://www.asahi.com/special/mazda-rotary/chronological-table/
1985年スポーツカーとしての
あらゆる動力性能に磨きをかけて進化した
サバンナRX-7(2代目)が発売された。
引用//https://www.asahi.com/special/mazda-rotary/chronological-table/
国内仕様はターボ付き13B型のみを用意。
国内外のメーカーがFRスポーツのお手本にした、
ポルシェ944と比較されることが多かった。
小粋な電動キャンバストップを備えた、
歴代唯一のカブリオレもあった。
1991年6月
日本車で初となる、仏・ルマン24時間レースでRE搭載の「787B」が総合優勝。
引用//https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%84%E3%83%80%E3%83%BB787
これは日本メーカーにとって初の総合優勝であるほか、
ロータリーエンジン車として初、
レシプロエンジン以外でも初の総合優勝であり、
まさに快挙と呼ぶにふさわしいものであった。
なお、あまり知られていない事実として、
カーボンブレーキ装着車として初めてル・マンを制した車種でもあった。
販売チャンネル拡大に伴い新設された販売系列
「アンフィニ」の名前を冠してデビューしたのが
RX-7(3代目)
であります。
引用//https://www.asahi.com/special/mazda-rotary/chronological-table/
熟成されたシーケンシャルツインターボ付き2ローターは、
最終モデルでは国内自主規制いっぱいの280馬力に達した。
漫画「頭文字D」の準主役マシンとして根強い人気を誇り、
中古車市場では高値安定が続く。
2003年
RX-7の低重心と理想的な前後重量バランスに
使い勝手の良さを加味してファミリーカーとしての
使用にも耐えるRX-8が発売されました。
観音開きの4枚ドアクーペ。
RE車の間口を広げて浸透を図った。
のちに水素RE実験車のベースに用いられ、
次世代エコカーとしての可能性が模索される。
2015年
東京モーターショーでお披露目されたコンセプトカーの
RX-VISIONが登場しました。
低燃費と軽快な乗り味を両立するスカイアクティブ技術の応用で、
近い将来のRE復活を予告した。
スポーツカーの王道とも言うべきロングノーズ・ショートデッキの
流麗なデザインが、ギャラリーの期待を高めた。
如何でしたか
今回はマツダの車を語る上でRXの歴史をまず紹介して来ました。